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提言 - 新しいODAのあり方 -見える、使える援助  
 


 

 

 

貧しい国の手助けは日本が果たせる大きな役割です。そのため、これまでも巨額のODA(政府開発援助)がなされてきたわけですが、どうにも現場の実態が見えずらいのが正直なところです。現地で頑張っている人がいるのも間違いありませんが、それでも提供するものが真のニーズにマッチしていなかったり、特定階層の利益源になってしまったり、という批判も度々伝えられ、本当に役に立っているのかと疑問に考えている人も多いはずです。ODAはその意義の割りに評価が低いとも言えるでしょう。

そこで今回はそのODAのあり方について一つ提言をしたいと思います。

「見える、使える」援助を実現しようとするなら、私は次のことが最も効果的ではないかと思います。

@ 税金中心から募金中心に変更すること
A プロジェクト目的を明確にして国民の支援を求めること

上記のうち、@は言うなればお金に心を込めることを意味します。私は官民両方での職務経験がありますが、その立場から見て、官のプロジェクトに決定的に欠けているのはよく言われることではありますが事後評価(政策評価)です。従って政策が失敗しても誰も責任を問われないということになり、真剣味が民間に比べて大分劣ることになります。

一方で民間ベースで全てまかなうのは非現実的です。情報の収集、進行管理、人材の手配などなど実務は膨大であるためです。

そこで私が提言するのは、国は基本的なフレームワークを提供し、内容の最終決定と評価は援助者が中心になって行うというスキームです。例えば、ある国の教育基盤整備を支援する場合、国は支援の規模とマスタープランをたて、目標募金額を設定して国民に対して支援を呼びかけます。もちろん企業を含めた法人も有力なスポンサーとなります。支援者はプログラムを見て、資金だけ提供する、アイデアを出す、人材を提供する、など様々なレベルでこのプロジェクトを応援します。

国はこうした国民の支援に支えられながらプロジェクトの進行管理を努め、中間レビュー、最終報告を行うことを支援者に約束します。それによってプロジェクトの進行の適正化が図られ、支援の効果が明瞭になります。そのことは支援者のより深いコミットにつながるだけでなく、一般の国民の関心をも引き付けるものとなるはずです。

今後は日本でも裕福層を中心にチャリティという資金の流れが形成されると考えられ、我々一般の国民も日常的な習慣として募金が根付くのではないかと思います。国民1人あたり1万円で1兆円という巨額な援助となります。もちろんこのように一足飛びには行くはずもありませんが、徐々に国民の自主的な参加の色合いを強めていくことで支援はよりキメの細かい、そして効果的なものはなっていくと期待されます。

(2006.1.3)